2018/12/06 14:25



小樽の景色というと、よく目にするのが「船見坂」から見下ろす港への風景。

海と山に囲まれた、坂と港の街・小樽を象徴するような、急坂です。

実際に小樽駅横の三角市場を通りつつ散策されたことがある人も

多いのではないでしょうか?


それとは別に、私たちdottoが勝手に名づけて呼んでいる

『火の見坂(ひのみざか)』という坂があります。


JR南小樽駅から山側へ歩き、つきあたりの住吉神社から

右手に坂を下っていきます。

下りきったところが入船十字街と呼ばれる十字路の交差点。

その少し手前の坂道が『火の見坂』です。

山側に見上げると、今ではあまり見かけない

「火の見櫓」がすっくと立っています。


そのあたり一帯はかつて小樽の街の中心でした。


鉄道も今の小樽駅ではなく、

ひとつ札幌寄りの南小樽駅がかつての小樽駅でした。

芝居小屋やお座敷で賑わい多くの人々が集まりました。 

食事など生活のため火も多く使われます。

大火も珍しいことではありません。

火の見櫓はいち早く鐘を響かせ火事の様子を知らせました。

火の広がりを抑える防火帯として道幅が大きくとられました。

今ならこんな静かな場所になぜこんなに大きい道路?と不思議に思います。


その街を見下ろす火の見櫓。

実はとても古く戦前(1927年・昭和2年)に製作されたもの。


金融恐慌や南京事件など不穏な空気が漂いつつも、

関東大震災後の復興される東京を西洋文化の影響を受けた

モボ、モガ(モダンボーイ、モダンガール)と呼ばれる若者たちが

和服から洋服へ新しいファッションに身を包み闊歩した時代でもあります。

日本初の地下鉄・銀座線の浅草ー上野間も開通しました。


アメリカではリンドバーグがNYパリ間の大西洋無着陸横断飛行に成功し、

大リーグでベーブ・ルースが活躍しました。

ちなみに火災通報の電話番号が119番になった年でもあります。


そんな昭和の始まりに設置されたこの火の見櫓は

”当時としては偉容を誇り近代的な火の見櫓だった”と町会誌に記録があります。


半鐘もてっぺんの風見飾りも当時のまま。

日本国内に現存する火の見櫓として指折りの古さだそうです。

というのも、鉄でできた火の見櫓は戦時中の供出にあい、

溶かされ軍事品などに姿を変えられてしまい残っているものが少ないのです。

街中の鉄が戦争で供出となったのにも関わらず供出されずにすんだのは、

この火の見櫓が街にとってどれだけ重要だったかの歴史でもあります。




ゆるやかな坂の下の高架には、かつて、石炭を運ぶ蒸気機関車が

黒煙をあげて走っていたことでしょう。

青い海をバックに汽笛を響かせ走る蒸気機関車を思い浮かべてみてください。 

海側へ歩くとかつての料亭魁陽亭、オルゴール堂やルタオのある

メルヘン交差点へつながります。


私たちは、dotto・CANDLEであると同時に

北海道ヘリテージ・コーディネーターとして

小樽の歴史文化を遺し学んでいこうという活動をしています。

この火の見櫓についても調査中。

古くから小樽に住まわれている方とお話しても、しばらく間があって

「あぁ、そういえば、火の見櫓、あったかも・・・。」

という当たり前の、日常にとけ込んでしまった風景です。


『最新』という魅力もあります。


けれど『時を経て』という魅力もあります。


時を経たものをもちこたえさせるには、

いろいろな人の理解と気持と努力が必要です。


そんなノスタルジックな風景がひとつでも多く、

誰かの心に記憶されたなら素敵なことだと思うのです。